前五百羅漢のご紹介
以前の五百羅漢
文化六年(一八〇九)三月、五百羅漢開基海運天麟大和尚が五百羅漢像安置の発願を起こし、檀信徒を始め、多くの金沢の方々の御力添えにより、華厳の釈迦尊、十六大羅漢、五百大羅漢180躰の尊像まで奉安することが出来ましたが、文化十一年(一八一四)不慮の危難に依り泉野の刑場において露と消えたと伝えられています。
文化十二年(一八一五)天麟和尚の師兄・圓戒和尚、逆縁ながら相続を許され、法燈を守り、羅漢安置の大願を相続致しましたが、老齢ゆえに文政六年(一八二三)五月、圓戒和尚は羅漢尊者170体の寄進をし遷化されました。
そして欄牛和尚もまた、天麟和尚・圓戒和尚の遺業を相続し、東奔西走され、150体の羅漢尊者並びに十大尊者、賓頭盧尊者を安置され、文政八年(一八二五)三月十八日より二十八日まで十日間、寶圓寺玉岡老大師を拝請され、開眼供養を厳修したと伝えられています。
天麟和尚発願の日より約十八年の歳月をかけ、天麟和尚・圓戒和尚・欄牛和尚の三代に亘って五百羅漢を安置することが出来たのです。
昭和三十七年四月二十九日午前九時三十分ごろ子供の火遊びの為本堂が全焼し、三体を残すのみとなりました。
この度、旧五百羅漢の台帳に記されている羅漢様の御名前と、寄進者の御芳名を広く公開させて頂くことと致しました。
どうか旧五百羅漢の遺徳を少しでも受け止めてくだされば幸いに存じます。
五百羅漢 桂岩寺
資料
羅漢願文
それ当寺に安置し奉る 五百大阿羅漢等は元(も)と前住天麟和尚の発願(ほつがん)にて文化六年(一八〇九)巳(み)三月より諸方を勧化(かんげ)し華厳の釈尊 十六尊者、五百尊者の内百八十体まで請侍(しょうじ)なりしに文化十一年(一八一四)戌(いぬ)十二月六日大願半(なかば)にして円寂(えんじゃく)せらる。
その後円戒和尚志を次ぎ文政六年(一八二三)五月末諸方までに又七十体請侍(しょうじ)せらる。
同六月より欄牛跡をしたひ 百五十体及び十大弟子賓頭慮尊者等請侍(しょうじ)して文政八年(一八二五)三月十八日より二十八日まで現住宝円寺玉岡老師を懇請し点眼の法式入仏供養などを営む結縁の道俗施主の面々はいふに及ばす在々処々の男女にも広大の功徳を施し了(おわ)りぬ しかれども 堂宇荘厳、仏具、法器いまだことごとくそなわらす
希(こいねがわく)は 現当二世脱苦受楽のため多きにほこらず、小さきにはぢず
夫れぞれの分限に随い財宝にても 仏器、法具、僧物にても悦びすてて寄付し玉はば堂舎つくづく風雨をしのぎ永代釈尊大阿羅漢等の尊像すべて寸毫(すんごう)のかなしみもなく衆人の結縁も又次第に増長せん
若しかしらば発願主天麟和尚より拙僧におよぶまで法楽がこれに加(まさ)る者あらん
于時文政十一年(一八二八)子春日
加州金沢 野田寺町
桂岩寺当住 欄牛敬白
寄付台帳
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