らかん通信 1 | お知らせ

2016/02/01 22:18

らかん通信 1

 本日は桂岩寺にとって大事なお方のご命日であります。
 京仏師吉岡定雲師の二十七回忌にあたります。
 吉岡定雲師はご生涯の二十五年を桂岩寺の五百羅漢制作に費やされました。
 桂岩寺が火災に遭い江戸期の五百羅漢が焼失し本堂もなく、庫裡の一部を仮の本堂としていた昭和三十七年九月より、京都市下京区高辻通り富小路、京仏師吉岡定雲師に五百羅漢の復興を依頼しました。
 当時の京都から見れば片田舎の金沢の本堂もない禅寺に五百羅漢を制作する決意を抱かれたことに今はただ感銘を受けております。大本山と称されるような寺院ならば名誉も経済的補償もあったかもしれませんが、桂岩寺は対照的に何の保証もない状態でした。
 江戸期の五百羅漢は三代の方丈様方によって約十八年で桂岩寺に安置されたと伝わっております。時代は変わって昭和の時代は京仏師にとって苦難の時代であったと伺っております。廃仏毀釈や神仏分離によって、仏像に対するとらえ方が変わってしまい、仏像を制作する以外のことに重きを置かなくてはならなかったようです。
 そんな世情的にも厳しい中、桂岩寺の五百羅漢を彫ることを京都・谷口法衣仏具店先代谷口新太郎様の仲介のもと、桂岩寺と合わせて三者で五百羅漢復興を夢見て歩みだし、昭和六十二年に五百羅漢の完成を成し遂げられたことはこの上もないことであったと思っております。
 以前に伺ったことのある話で職人は自分が作りたいものを求めてゆくのではなく、求められたものを形にしてゆくのが職人であると、まさに吉岡定雲師は職人であり現代に生きる羅漢様でありました。
 今はただ因縁に感謝し、吉岡定雲師 温光院法元定雲居士 法性院慈光定雲居士の追善菩提に回向するのみであります。
                                  五百羅漢 桂岩寺
 
 

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